マルセル・デュシャンの表現
先日バスに乗りました。
前列に座っていた女性の後頭部の丸みがとても綺麗で、
何か強く惹きつけられるものがありました。
その時にふと、マルセル・デュシャンの作品“ 泉 ”を思い出しました。
学生の時に学んだ、造形原理の観点からみる “泉” の意図が女性の後頭部の丸みとハマり、
ぼやぼやっと頭に浮かんだのです。
ざっくりとした説明になりますが
マルセル・デュシャンは1917年、
“泉”----大量生産された既製品の小便器にR.Muttと記したもの---
を作品としてニューヨークのアンデパンダン展に出品するも、展示拒否されてしまいます。
(この展示会に審査は無く出品料を払えば誰もが展示できる、という趣旨のものだったにもかかわらず)
しかし、のちにこの“泉”は芸術界の在りようを決定的に変革したアート と位置付けられるのです。
“小便器”のそれが美しいと、単なるフォルムやオブジェとしてのそれを選択する、という造形原理です。
それはデュシャンによって選ばれた、1つのアートなのです。
前提長くなりましたが
私が美しいと思うモノはなにか。
作り手である私は考えます。
今の私にとってはその一歩前の、
美しいと感じる心を養う事が最も重要な事のように感じます。
ああ美しいなと心動くその先に、作りたいモノがあるのです。
彫刻家・ロダンの言葉があります。
私は何も発明したりしない。ただ、再発見するだけだ。
美しいは身近なあらゆる所に在って、
眼が見えるとは、それを発見する訓練の先にあるのだと思います。
その訓練の繰り返し、美しいと感じるモノを選択したい。アクセサリーに込めたいのです。
私は芸術家でもアーティストでもありませんが、
バスで感じたこの体験は、とても心を充実させるものでした。
あの時たまたまですが、下を向いてなくって、本当に良かったなあ。
心動くその先に、私の仕事があると感じた日でした。